2013年3月の入院

左頚部リンパ節転移(疑い)/頚部腫瘍の手術(生検含む)(>'A`)>ウワァァ!!



Prologue

2013年2月5日火曜日のCTとMRIで呼吸器内科の担当医は左頚部の腫瘍を
見落とし、翌週の月曜日頃から違和感が現れました。痛みのないしこりです。
担当医は腫瘍マーカーが少しずつ上昇していたため脳転移を疑って検査した
ようですが、リンパ節の腫瘍に気付かないとはヒトゴロシ!

その他入院前のドタバタは2月の日記に。





↑上Old
↓下New


2013年3月7日木曜日

入院の日

病院に着き、まずは入院受付へ。事務の手続きはすぐに
済みましたがわたしの使うベッドの準備が出来ていないと言われ、
なんと1時間半も入院受付で待ちました。

(以降この段取りの悪さに何度も苦しめられるのだった…)

術前の検査(心電図、呼吸機能検査、血液検査、尿検査)は
先月済ませているので今日は耳鼻科の診察と手術の説明、
麻酔の説明と承諾書にサイン等と夕食後の絶飲食。

はじめての執刀医の診察です。
衝撃だったのは腫瘍はきれいに取れるかわからないのに
左腕に障害がのこるかもしれない、そんな場所の手術なのです。
呼吸器内科の担当医は形成の外来処置室で取れる、なんてとんでもない
話です。耳鼻科の医師は熱心に首を触ってしこりの場所の見当をつけていました。
エコーでも、どうやら静脈に接しているようですが開けてみないと
どこまで取れるかわからないそうです。

わたしは腫瘍とおさらば出来るなら静脈の1本や2本…たとえ左腕が
飾り物になっても構わない覚悟です。
それにしても、執刀医の説明に同席した母と姉と夫、質問はおろか
あいさつも出来ないなんていない方がマシ。恥ずかしい…


さて、手術の説明が終わって母と姉は帰りました。
夫は麻酔の説明や呼吸器内科の担当医が来てから帰りましたが
この日、全てのスケジュールが何時になるか不明でした。
待たされる家族も疲れます。しかも、耳鼻科以外いろいろな説明を
病室のベッドサイドでしてしまう。プライバシー無しです。
前が「極悪医大」、今度もすてきな名前をプレゼントしてあげますから
覚えてろ!!!(しかし悪夢は始まったばかり


つづく

2013年3月8日金曜日

手術の日

前夜の夕食後のトマトジュース以降絶飲食。
朝には手術用の着物に着替えて、耳鼻科の処置室で点滴の針を
入れて貰いました。ここから点滴の水分のみ。

手術の始まる時間ははっきりわからなくて、家族には午前11時には
来ているように、との指示でしたから、てっきり午後早い時間ではないかと
思っていました。ところが夕食の時間になっても呼ばれない。
姉は遠くから出てきているので、あまり遅くなるのは困ります。
わたしも点滴だけで緊張もして気持ち悪くなってきました。
どの看護師さんに聞いても何もわからないのですよ。

手術室に呼ばれたのはなんと18時30分を過ぎていました。
わたしは2度全身麻酔の手術経験有りますが、手術室まで歩かされたのは
初めてでした。前は直前に気分の落ち着くお薬を飲んで、寝たまま
運ばれたのです。手術室に入る頃にはぼんやりしていて
楽でした。今回は正気で手術室に入ったので麻酔が効いてくるまでの
時間はとてもとてもとても長く感じました。


この恐怖、まるで屠殺前の動物の気分!


…手術は2時間くらいだったそうです。
母と姉の気配はわかりました。わたしが手術室から出てきた直後に
帰ったそうです。
そのまま、ICUなどではなく今までいた病室に戻りました。

わたしのいた病室は、わたし以外大腸内視鏡検査を受けに来てる
患者さんだけで、手術直後のうるさい患者がいて落ち着かなかったと
思うのです。あくまで病院の都合なのですが。

この夜はいま思い出すのも嫌になるほど辛かった。
酸素吸入のマスクを3時間。なんだか変な臭いがして気持ち悪い助けて
なにこれほんとに酸素出てんの?いらないよ!とか文句言ってたらしい。
口には手術中酸素送るパイプみたいなの入れてたからのどが凄くいたくて、
痰と咳がでました。でもまだ水分は点滴だけ。体温は37.5くらい。
夫は消灯時間までいたそうです。わたしは覚えていない。

ベッド上安静は6時間。固い手術用のベッドに寝かされてたせいで
腰と背中が痛くて我慢できずに痛み止めの座薬をいただきました。
…ぜんぜん効きませんでした('A`)
せめて眠れたら、と睡眠薬を点滴してもらいましたが、これも効き目なく。
首は圧迫のスポンジみたいな分厚いパット?を布ばんそこでがっちり固定して
いるし、導尿のチューブがあって、胸には心電図のよくわからない何かが
貼り付けられてて3本のコードがお弁当箱みたいな機械に繋がってる。
腰と背中が痛くて堪らないからせめて横向きに寝たいのだけど、こんなに
チューブとパイプとコード、しかも首が回らないと来たもんだ。
ひたすら時間が経つのを待つしかありません。まるでツタンカーメンです。

看護師さんに無理をいって安静解除を午前5時にしてもらいました。
導尿のチューブが抜けたのは良いのですが、まだいろんな物が繋がっていて
トイレに行くのが大変でした。


つづく

2013年3月9日土曜日

入院3日目

夜明けに導尿のチューブを抜いてもらえたのはいいが
尿意が不明で不覚にも失禁してしまいました。
せっかく着替えたばかりだったのに、ねぇ。。。

ブルーな朝でした。

朝食はいきなり一般食でおどろきました。
おとといの夜から絶食してたから多少ソフトなものを
予想していましたよ(甘い
おそるおそる食べてみたら意外と何事もなく無事完食。

点滴は水分と抗生剤が続いていました。
体温は微熱程度。37.0くらい。血圧、酸素濃度も正常でした。
傷は圧迫固定されていて首がまったく動きません。
寝返りがうてないし、横になるのも起きあがるのも
大変に苦労しました。

夫は早番の仕事を早退して昼過ぎには来て、迷惑なことに
21時くらいまでいました。
そのほとんどの時間、わたしのベッドを占拠して
寝てました。大イビキかいて、まわりの人はわたしのイビキだと
思うだろうに。わたしは仕方なくイスに座って寝てました。

夜は母に電話、姉にメールで生存報告。
母はこの日体調が悪かったそうです。明日は姉とふたりで
来てくれるとのことでした。


つづく


2013年3月10日日曜日

入院4日目

朝の耳鼻咽喉科の診察で、点滴の針が取れました。
傷口の消毒をして、また分厚い枕みたいな何かで圧迫。
医師、看護師によると傷はとてもきれいに治ってるようです。
まぁ、一般人の言うことではないからわたしは怖くて
見る気になれませんでした。

そのテープの粘着物で首周りが少々痒くなってきました。
はやく思いっきりシャワー、シャンプーしたいところです。

お昼前には母と姉が来て、3人一緒に病室で昼ご飯を食べました。
14時くらいに夫が来て、空模様がアヤシイので入れ替わりに母と姉は
帰っていきました。


つづく


2013年3月11日月曜日

入院5日目

昨晩はひさしぶりによく眠れました。
朝いちばんの冷たいブラックコーヒーはおいしかった。

朝食後、耳鼻科処置室で消毒と包帯交換。
いったん分厚い圧迫が取れてガーゼと紙絆創膏になって
首が軽くなりました!!!歓喜!
傷は表面的にはきれいだけど深いところの手術だったので、
ドレーンのチューブが入れてある訳ですが、今日まで知らなかった。
深くても、治るのは早いものです。不思議。
明日の包帯交換で問題なければこのチューブは抜去の予定。

母は今日胃カメラとエコーその他いろいろ検査に行ってました。
電話して、結果のわかるものだけ聞きました。
胃と心臓は異常なし、肝臓には袋が3つ見つかった。???
「のう胞」というもので病気ではないそうです。よかった。

夫は18:30くらいに来て病室で夕食をたべて20:30くらいに帰っていきました。


つづく


2013年3月12日火曜日

入院6日目

病室はいちばんエコノミーなタイプで4人部屋。
病室内にトイレと洗面所が付いていて快適でした。
ただ気になるのはわたし以外みなさん大腸内視鏡検査で
入院されているので、トイレの出入りが多くて時には
ベッドサイドにポータブルトイレを入れて用を足す方も
いて賑やかでした。長時間トイレに入れないことも。

患者さんは次々入れ替わり、わたしがいちばん古くなってしまった。
退院していく方からTVのカードをもらったりしました。
大腸の病気もいろいろ大変みたいです…

朝の包帯交換でドレーンのチューブは抜去してもらえましたが
また分厚い圧迫で首が回らなくなりました。あぁ
傷の治り具合は良好で、外来で抜糸でもいいかな?なんて
突然言われました。当初、18日の月曜日に退院の予定でしたから、
驚きました。今日退院して明日外来で抜糸とは忙しい。
抜糸してから退院したいと伝えました。

この日、やっと執刀医に会えたので手術について確認したところ、
腫瘍は半分ほどしか取れなかったそうです。
大静脈と神経にくっついていたので、大出血を避けるため、
遺伝子解析に必要な量を取っただけなのです。
だいたいこの手術で腕が上がらなくなるかも、なんて脅かしておいて
結局検体採取が目的だったのでしょう。
あとは放射線頼みとなりました。

ドレーンが抜けたので、今日から首から下ならシャワー可、
洗髪は介助で可とのこと。
介助は遠慮して、さっそくシャワーの予約を入れました。
身体はひんぱんに自分で拭いていたのですが、やっぱりシャワーは
スッキリして気持ちよかったです。


つづく


2013年3月13日水曜日

入院7日目

微熱も感じなくなりとても元気でした。
朝の診察が終わればあとは食事とシャワーだけ。
ヒマで堪りません。

持参した「夜と霧」は入院中に3回も読みました。
その他にこの病院には図書室があり、入院患者には
貸し出しをしているので大変お世話になりました。
ああアリガタヤァ〜

「愛と死をみつめて」と「命のハードル」を読みました。
ほかにネットで知っていたブロガーさんの著作も
あったけど、借りて読んだらご遺族に印税が入らなくて
悪い気がしてやめました。どうしたら良かったのかな。。。


昨日あたりから急に看護師さん達が冷たくて悲しい気分です。
まぁ、すっかり傷が良くなったと言うことで
心配してくれる人がいなくなっただけですが、なんか淋しい。
…などと拗ねていると、手術の日に夜勤で担当だった
看護師さんが顔を見せてくれました。
わたしがそろそろ退院で、I看護師はお休みになってしまうので、
勤務終える前にわざわざ立ち寄ってくれたのです。
担当の看護師さんより、やっぱり手術直後はいちばん面倒かけたので
…座薬入れて貰ったし(恥
丁重に感謝を伝えて、別れを惜しみました。心からです。
元気になって落ち着いて見ると、わたしより
ふたまわりくらい小さな身体の人に世話をしてもらったんだ、
なんて思い出す度申し訳なく、涙あふれるのです。


つづく


2013年3月14日木曜日

入院8日目

午前9時耳鼻科処置室で診察。
次に入院する人が決まったらしくて、明日抜糸して昼に
退院することになりました。

明日は母と姉が来てくれるそうです。
今夜は夫が来るので、荷物を宅配便で自宅に送るために
必要な梱包材料を持ってきてくれるように頼みました。
院内の売店で宅配便の取り次ぎはやってるけど、ひもや
ガムテープは置いていないのです。
次回はかならず持参することにします。

この日に限らず、同室の患者さんはわたし以外大腸の検査で、
お手洗いが空くヒマがないほど。検査の前におなかを
からっぽにしなければならないからですが、わたしは
病室外の遠い共同トイレを借りていました。ちょっとトホホ。

夜になって、夫がガムテープとおおきなポリ袋、結束用ヒモ、
宅配便用ラベルを持ってきてくれました。
まったくアテにしていなかったので、助かりました。


つづく





   インデックス




inserted by FC2 system